kogumaの育児ダイアリー

徳島市在住のライター。アラフォーで思いがけず妊娠しました。我が家の「かぞくのはじまり」を記録します。

カタカタで人生初歩き

f:id:koguma2015:20160814163444j:plain


おさがりのカタカタを押しながらトコトコトコ。


うわー、前に進んでる!

おどろき。

カタカタカタ。

音がおもしろいなー。


途中からは歩くのが楽しくて仕方ない様子で、壁に当たっては、早く方向転換してよーと親に指示を出し、またカタカタカタ。


うれしい、たのしい、どきどき、わくわく。


瞬く間にたくさんの表情を見せてくれました。ありがとう。よかったね。


親密になれるオーブン

デロンギコンベクションオーブンを買ってみました。

f:id:koguma2015:20160812091122j:plain

イタリアメーカー中国製という微妙な感じはおいといて、これかなり良いです!


予熱が早いのでオーブントースター感覚で使えます。

トースト、干物、オーブン料理、解凍、あたため、なんでもござれ。


早速、カップケーキを作りました。

f:id:koguma2015:20160812091356j:plain

フンワリサクッと焼けて、部屋中が香ばしい匂いに包まれるしあわせ。


晩ごはんのおかずも子供をお風呂に入れてる間に出来ちゃいます。

f:id:koguma2015:20160812091541j:plain


チキンと野菜のガーリック焼きですが、ジューシーに仕上がり、すごく美味しかった。


アンチ自動化人間としては、つまみを回してタイマー設定したり、タイマーが切れるとチーンと鳴るのも嬉しい。自分の感覚を頼りにアレコレ調整できるのが楽しいオーブンです。





保育園は育児負担を軽減するための行政サービスではない。

生後3ヶ月から子供を保育園に預けているという知人女性から「保育園、いつから預けるんですか?わけがわからない早い時期に預けた方が子供も保育園に行くのが当たり前になって通園のたびに泣いたりしないからいいですよ」とアドバイスをいただきました。さらに「保育園に預けてると、離乳食の指導もしてくれるし、ストローやコップの使い方もマスターしてくるし、トイレトレーニングだってやってくれるからラクですよー」と付け加えてくれました。

 

また別の機会に、学資保険を売り込まれた銀行にて、担当の女性が「うちの孫なんて6ヶ月から保育園通ってるんですけど、なんでもすぐに覚えてきてすごいの!小さいうちから社会性も身につくからオススメですよ」と言われました。

 

 

そのとき感じた違和感。

ざらざらとした嫌な気持ち。

一人の小さな人間に対する侮辱。

面倒なことが回避できたと喜ぶ大人のズルさ。

 

聞いてて心地よくない話だなと思ったのは確かです。 

 

 

保育園はあくまで保育に欠ける子のための「福祉」であって、「育児負担を軽減するための行政サービス」や「しつけの肩代わりをしてもらう場」ではないと思うのです。

 

 

最近は乳児期からの保育園入園が当たり前のようになっています。専業主婦の友人によると、自宅で2人育てているというと逆に「大変ねー」と同情されることが多いとか。もちろん会社で代替要員の確保ができず、止むを得ず0歳から預けている人は論外です。しかし、自分が育児の面倒から都合よく逃れるために、逆に早期から仕事を開始して保育園を利用しようと考える女性が一部存在している気がします。

 

でも本来、子育ては家庭保育が基本であるし、2歳頃までの時期は愛着形成という目には見えないけれど重要な時期にもあたります。

実際9ヶ月まで赤ちゃんを育ててみると、昼間8時間も親と離れた生活をするなんて想像つかないくらい、常に母を求め、母がいなければ父を探します。抱っこされるのが大好きだし、親子で目を合わせてにっこり微笑むとうれしくて「あー、うー」と大きな声をあげたりします。親の愛情を持った関わり方が子供にたくさんの刺激のシャワーとなって降り注いでいるのが実感できる時期です。

 

世間では「女性が活躍できる社会を実現するために待機児童を速やかに解消します!」などと訴えていますが、人間らしい育児を実現するために本来、政府がすべきことは、親との愛着形成をじっくりと醸成し終えた時点から、元の職場、地位に当たり前に復職したり、あるいは新規で就職したりできる社会環境の整備だと思うのです。

 

「仕事も育児も家事もがんばれ、がんばれ」と言われたって女性だって困りますよね。その弊害の一番の被害者は、いつだって小さな声なき存在であることを忘れてはいけないなと思います。

 

 

授乳のひととき

夢中で遊んでいるとき、ふっと我にかえったような表情をしたかと思えば、「ふえーん」とスイッチが入り、むずがる息子。そのタイミングでおっぱいを口元に持っていくときれいに舌で絡めて力強く吸いはじめます。こめかみがこくこくとリズミカルに動き、おっぱいを吸うことが赤ちゃんのあごの発達にいかなる効果があるかは一目瞭然です。

 

8ヶ月ころから小さな紅葉のような手をおっぱいに添える仕草が出てきました。たっぷりと母乳が湧き出ているときは、うっとりした表情で静かに目を閉じて、口の中にあふれるお乳を恍惚とした表情でごくんごくんと一途に飲み込んでいきます。

 

かと思えば、片手で片足をつかんでゆーらゆーらと動かしたり、足でクッションや私の腕を蹴ったり。遊びながらの授乳タイムも息子にとってはとっても幸せな時間なのでしょう。

 

息子が泣けば、以心伝心、母である私のおっぱいにツーんと信号が送られ、すぐさま催乳感覚が湧き起こります。

ふしぎだなあ。このおっぱいは私のものであって、息子のものであり、私だけのものではないんだ。

息子が夜間、まとまった時間眠るようになった5ヶ月ころ、最初はおっぱいがどんどん作られていて、カチカチに張って困ったものです。でもそれから数日もすれば、いつの間にかおっぱいは息子の欲するリズム、量に合わせるかのように、夜間はそれなりの量しか製造されなくなりました。

息子がほしがるときにほしがるだけ。新鮮な産地直送のおっぱいがいつの間にかできあがっていたのです。

 

9ヶ月に入り、私たち母子の間でお乳という目に見える絆がいつか解かれる日がくることを意識するようになりました。いつの間にか腕に抱く息子がずっしりと大きくなり、手足も私の上半身から大きくはみ出るようになっています。卒乳の日を想像しただけで涙がこみ上げてくる、こんな自分に出会えたのも息子を産んだからこそ。

 

母にたずねると、私自身、自ら自然とおっぱいを吸わなくなったそうです。「さあ、今日が最後のおっぱい」なんて決めつけないで、私と息子と2人が醸し出す阿吽の呼吸でおっぱいの絆がやわらかくほどけていったらいいのにな、と思っています。

 

 

 

いい感じのわたしたち🎵

助産師さんに訪問してもらう

あれから左乳房の乳口炎が治らず、しこりが取れなかったので、徳島市の新生児訪問でお世話になった助産師さんに電話して来宅してもらいました。

病院の乳房外来に行こうと思うと、実母に子供を見てもらわなければなりませんが、出張してもらうと自宅の同じ空間で赤ちゃんと一緒にいられるので気が楽です。

助産師さんから2時間くらいマッサージをしてもらうと、頑固なしこりもほぐれて、おっぱいが出やすくなりました。結局ニキビのようになっている乳口の蓋は取れなかったのですが、乳房は随分やわらかくなって、赤ちゃんもおっぱいを吸いやすくなったようでした。何より助産師さんの優しいお人柄に癒されて、なんだか育児にさらに前向きになれました。妊娠・出産の一時期しか助産師さんと関わることはありませんが、地域で活躍されているフリーの助産師さんも本当に頼りになる存在です。

 

生活リズムが戻った!

kogumaの体調が整うと、やはり育児も家事もうまくまわる気がします。離乳食2回も定着し、子供はパクパク食べてくれるし、おなかいっぱいになると自然と昼寝をしてくれて、夜も8時〜9時には就寝。昼寝の間に、昼食・夕食の準備をチャチャッと済ませて気持ちに余裕ができると何かに追い立てられるようなストレスがたまりません。

夫の両親が毎週1〜2回ほど遊びにきてくれていたのですが、どうしてもお昼寝の時間と重なるのが悩みの種でした。こちらも気を使って両親と遊ばせていたら昼寝をスキップすることになったり、時間がズレてしまったり、どうしたらよいのか困ってしまってました。そこでお昼寝が終わった夕方、両親のところに連れて行くことにして、こちらのペースで面会してもらうことに。現在ケアハウスに入居している義両親にとって、孫に会うために外出するのはリハビリのようなものらしく、義理姉からも「外出先ができてよかった。孫に会いに行って遊ぶのが一番のボケ防止」と言われていたのですが、子供の生活リズムを整えるためには仕方ありません。

 

それにしても熱帯夜が続いた徳島。一晩だけクーラーなしの扇風機のみで寝てみたところ、母子で汗ダクになって真夜中に何度も目がさめる始末。太陽がジリジリと照りつける日中は散歩に行くこともできず、28度設定のリビングでひたすら遊んでいます。いまは夕方、少しだけ散歩や買い物をするくらいしか外出の機会がありません。気候変動で、自宅保育もなかなか厳しい時代です。

 

波のある日々

生後8ヶ月後半。

 

f:id:koguma2015:20160630222359j:plain

最近の赤ちゃんの1日はこんな感じ。

午前7時に起床。授乳してハイハイ・遊び。

午前9時に離乳食。

午前10時に第1の昼寝。

午前11時ごろ昼寝から起床。

授乳してハイハイ・遊び。

午後1時半に第2の昼寝。

午後3時ごろ昼寝から起床。

午後3時半に第2の離乳食。

午後4時すぎから外出・散歩。

午後6時半に入浴。

午後7時すぎに授乳して午後8時〜9時の間に就寝。

 

こんな調子で「なんか最近、親子でリズムができてきていい感じ。育児たのしいかも」なんてルンルンで過ごしていたのに、

日曜日の夜から急に体調不良になり、koguma撃沈。

熱もなく、どこがどう悪いってわけではないけれど、とにかく食欲ゼロ。

いわゆる「梅雨だる」ってやつでしょうか。

 

おっぱいトラブル発生!

食べたいものが思い浮かばなくて、そんな状態で食事作りをする気力もわかず。

そんなときなのに、数日の間、夫の仕事の関係で午前中に出かける用事ができて、

上記のような赤ちゃんのリズムもすっかりくずれてしまい、

とうとう3日連続で午前の昼寝をスキップするように。

 

 

さらには離乳食が定着してから授乳間隔があいてきたこともあり、

左乳房にしこりができて岩のようにカチカチの状態。

泣きっ面に蜂とはこのことで、しこり部分をアイスノンで冷やしつつ、

搾乳してみたものの、出口に蓋ができてしまって、それがどうしてもとれない。

出口を失ったおっぱいは中にたまって乳房が変形するほどの事態に。

出産でお世話になった病院の乳房外来に予約して、

助産師さんに母乳マッサージしてもらったらしこりは少しマシになったけれど、

それでも蓋はとれず。

今はしこりはすべてなくなって授乳は順調にできているので、

今は様子をみています。

 

うれしいような困ったような 

それにしても乳房外来に行くとき、実家の親に来てもらって

赤ちゃんを預けていたのですが、15分くらいは一人で機嫌よく遊んでいたものの、

「ママがおらん!」と気づくやいなや、ギャーッと泣き始めて大変だったみたいです。

何をどうやっても泣き止まず、実母いわく「命の危険さえ感じた」そうなので、

仕事中の夫に帰宅してもらったのですが、

なんと夫の顔を見た瞬間、ぴたりを泣き止んで一同、安堵。

その話をしてくれるときの夫の嬉しそうな顔といったら!

kogumaだって帰ってきたときに、赤ちゃんが口を開けて「わあ、お母さんだ!」

といわんばかりに見せてくれた笑顔が忘れられません。

 

 

そんなこんなで今週はkogumaの体調不良から始まり、

赤ちゃんの生活リズムの乱れなどうまくいかない感じでしたが、

kogumaの食欲は昨晩「鳥ぼん」でお持ち帰りした焼き鳥を食べたら一気に回復!

今日は「オーバッシュクラスト」でベーグルも買い込み、

明日の朝食にアアルトコーヒーのアルヴァーブレンドとともに食すのが楽しみ!

ってなほどまでに体調戻りました。

 

 母子でいい波にのりたいね

母親の体調がよくないと、いい育児ができません。

それから、ママと赤ちゃんも「最近、わたしたちいい感じ!」っていうときもあれば、

母子の歯車がうまくかみ合わず、いらいらするってときもあり、

その繰り返しで日々はあっという間に過ぎてしまいます。

うまくいかないときほど、周りの人にヘルプをもらいつつ、

「いい感じなとき」を待ってその期間を長く持続させていければと思います。

ずいぶん大きくなったなと思っても、まだまだ授乳中の赤ちゃん。

とくに完全母乳でやってきたからこそ、

母子のリズムを優先させていかなければと思います。

 

我が家なりの子育て

晩産だからこその楽しさ

遅くに授かった子だからか、夫はいつも子育てに全力参加です。20代、30代で授かっていたらこんな生活はできなかっただろうと思うくらい、毎日三度三度のごはんは3人一緒。毎朝の和定食は夫が担当してくれています。残業を減らして7時には帰宅し、お風呂上りの息子を引き受けて寝間着を着せてくれるのも助かります。休日は買い物がてらのお出かけをすることが多いのですが必ず抱っこ紐を担当。息子と一緒にいる時間が楽しくて仕方ないようです。

子供ってどんどん親から離れていってしまうけれど、諸先輩がたの経験談を聞いていると、10歳くらいまでは親と一緒にいてくれそうな感じですね。夫は15歳までは子供といっぱい遊んで、旅行して、たくさんの時間を共有したい、と話しています。若い両親のご家庭とは違ったアプローチで我が家なりに子育てを堪能できればなと思うのです。

 

大きな力に動かされているような

ところで我が家の場合、子供ができたから仕事のスタイルを変えて今みたいな生活にシフトしたのか、というとそうでもありません。妊娠する少し前から、仕事のクライアントさんが変化し、環境も変化し、私たち2人の価値観も変わりました。それはとっても自然な流れだったのでその時はわからなかったのですが、いまから振り返ると、なんだか大きな力で子供を産み育てる方向へ動かされていったような気がします。「〜ねばならない」なんてなくて、なんだか心地よい方向へ身を委ねていると、思わぬギフトが与えられた、そんな不思議な気持ちでいまを迎えているのです。