kogumaの育児ダイアリー

徳島市在住のライター。アラフォーで思いがけず妊娠しました。我が家の「かぞくのはじまり」を記録します。

オリジナリティーあふれる人生を

未妊時代、たくさんの人から「子どもはいいよー」と言われ続けてきましたが、「そうですよねー」とうなずきつつも、「何が何でも子どもがほしい」という情熱が湧き起こらなかったkoguma。

そんな気持ちのままアラフォーで子どもを授かったとき、嬉しさの反面、夫の年齢も考えると、きちんと育てられるのか、世間にどう思われるのだろう、と一瞬とまどってしまいました。

 

そんなとき、読んだのがタン・ベン・シャハーの「ハーバードの人生を変える授業」。この本の中で、本来の自分の欲求や考え、やりたいことが見えてくるワークが紹介されていました。

「これからの人生で、そして死んでからも、誰もがあなたがこの世でしている素晴らしい行いを知ることはありません。ただあなただけが自分がどんなに素晴らしいかを知っているのです。このような世界で一体あなたは何をしますか?どのような生き方をするでしょうか?」。

 

この年で子どもができたといえば他人からいろんなことを揶揄されるのではないかという「恐れ」がありましたが、それは世間に対する怯えではなくて、自分自身のなかにある不安なんだと気付きました。年齢や環境というバイアスをすべて取り払ったとき、夫と自分の子どもを産んで育てているあたたかなイメージがすーっと浮かんできたのです。

 

 

 

長年オーストラリアで終末期ケアにたずさわってきた看護師のBronnie Ware さんが書いた一冊の本「The Top Five Regrets of the Dying」(死にゆくときの後悔トップ5)も心に残っています。その後悔トップ5とは、

第1位 「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」

第2位 「自分自身に忠実に生きればよかった」

第3位 「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」

第4位 「友人といい関係を続けていられればよかった」

第5位 「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

 

30代は自分の仕事と夫の仕事を兼職していたので、お勤めしていた頃よりもかなりのハードワーク。正直、子どものことを考える余裕が夫婦ともにありませんでした。いまならその頃の自分に「第1位」を伝えて熟考を促したいですね。

 

 

そして、最後を飾るのは高齢出産の先駆者、作家林真理子さんの言葉です。

「やってしまったことの後悔は日々小さくなるが、やらなかったことの後悔は日々大きくなる」

 

高齢出産のいろんな情報、主にリスクの面がメディアから多く伝わってきますが、そのリスクがすべての人にあてはまるわけではなく、産科医療に携わる方々の尽力のおかげで、無事に赤ちゃんを胸に抱くことができた多くの高齢妊婦さんがいます。本当は子どもがほしいのに、高齢のリスクやお金の問題、生活設計を考えると、立ちすくんでしまっている女性は少なくないと思います。でも産んでみてわかったのは、子どもってかけがえのない存在であること。それまで自分が固執していたプライドや欲求やこだわりがすべて吹き飛んでしまうくらい新しいエネルギーに満ちた存在です。

そして妊娠したとき、育てられるのか不安を吐露した自分に母が言ってくれた言葉。「子どものためならなんでもできる。それが親というものよ。産んだらきっとわかる」。その域まではまだ達していないのですが、今では息子のいなかった生活がどんなものだったのか思い出せないくらい、3人暮らしが心地よくなってきました。そして未妊時代にたくさんの方から言われた「子どもはいいよー」という漠然とした言葉の意味が少しだけわかり始めたところです。